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尺八古典本曲集[四]

投稿日:1985-12-25 更新日:

尺八古典本曲集[四] 
奏者:徳山隆
演奏時間:60分
録音: 1984/10/12, 10/25
本曲研究会
Copyright C 2019 by Takashi Tokuyama

1 鉢返 hachi gaeshi (3:48)
2 下り葉 sagari ha (3:38)
3 布袋軒産安 futaiken san ya(9:57)
4 真虚鈴 shin no kyorei(13:29)
5 真法流鉢返 shinporyu hachi gaeshi(2:52)
6 一月寺鉢返 ichigetsuji hachigaeshi(3:39)
7 越後明暗寺鉢返 echigo meianji hachigaeshi(4:47)
8 奥州鈴慕 oshu reibo(6:18)
9 鶴之巣籠 tsuruno sugomori(11:11)

難産だった第四巻がついに完成しました。A面が1985年10月12日長野県戸隠村・戸隠民俗館での「戸隠大和尺八の夕べ」からの、そしてB面が10月25日東京牛込法身寺における「吹禅と座禅の夕べ」からのライブ録音です。私が深く関わってきたiBDセミナーでの知人から、玄米菜食と吹禅尺八を聴く会を定期的に提供するグループ「竹・音・気」ができました。iBDという「自らの価値に気づく」セミナーを提供する場において、私はたった一度だけ尺八を吹いたことがあります。その時たまたまそれを聴き、後に竹・音・気のメンバーにもなった佐々木清香さんが知り合いの里野竜平氏(戸隠でロッジ"タンネ"を経営)に働きかけ、戸隠での尺八の会が実現しました。里野氏は御自分のロッジでクラシック音楽を中心とするコンサートを主宰され、東京での法身寺での吹禅会にも足を運び、私の古典本曲を聴かれていました。会の翌日の朝日新聞には、里野さんを代表とする民宿の経営者や陶芸家の十人からなる『戸隠塾』が、精神的余裕を持つことを村人に呼びかけることを目的に尺八の会を企画したと写真入りで紹介されました。


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1 鉢返
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2 下り葉
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3 布袋軒産安
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4 真虚鈴
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5 真法流鉢返
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6 一月寺鉢返
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7 越後明暗寺鉢返
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8 奥州鈴慕
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9 鶴之巣籠
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多くの人の協力で実現した戸隠のコンサートは、夕方から始まりました。開け放たれた障子の真正面に戸隠山を拝し、聴衆は奏者の後ろや横、あるいは庭のあちこちに適宜置かれた椅子に座って、山や色づく秋の大自然を尺八の音と共に全部まるごと感じ取ろうという趣向です。二尺六寸菅をあやつる現代の虚無僧風の人や、京都から歩いてきたという長髪にヘア・バンドの演奏家なども飛び入り参加し、私自身が極めてフォーマルに感じられた一日でした。夕方の典型的な秋らしい程よい天候から、やがて日が暮れてややはだ寒句なり、会の終わりを待っていたかのように降り出した雨まで、たった二時間の間にさまざまな物が移り変わっていくのが観えました。その間、たえずあかあかと燃え続けた松明が時折落ちる様も(本カセットで)耳にすることができます。
「始めるゾ!」との気迫で吹いた「鉢返」から、暮れ泥む頃深い精神集中で吹いた「虚鈴」まで戸隠の息吹をお感じください。戸隠で受けた、人からの、また自然からの影響がどんなものであったかは、時を経ず行われた法身寺での会を再生したB面でお聴きください。法身寺に蓄えた場の気と、戸隠からの気が届きますかどうか・・・

奏者:徳山隆
演奏時間:60分
録音:1984/10/12, 10/25   ミキシングエンジニア:松崎和夫  デザイナー:竹林孝枝・橘沙羅(竹林工房) フォトグラファー:佐々木滿・勘田義治  制作/レコーディング・プロジェクト  発行:/本曲研究会  〒156 東京都世田谷区松原5-20-12

Side-A
 1 鉢返 hachi gaeshi (3:48)
尺八古典本曲各派に伝わる典型的な入門曲の一つ。「一二三ひふみの調」(第一巻に収録)と共に演奏されることも多い。高音域(甲の音)が多く用いられているので、音域を広げる訓練のためにも役にたつ。鉢返という言葉は、択鉢修行する虚無僧へ喜捨する時用いられた容れ物(鉢)を、虚無僧が感謝の気持ちを込めて返すことに由来しています。が一方、幕府から特権を受けるのは当然であり、お礼に曲を吹くはずがないとする考えもありまます。
2 下り葉 sagari ha (3:38)
鷲峯しゅうほう山興国寺伝。興国寺は紀勢本線の紀伊由良駅から海岸へ歩いて十分。深い木立の山腹にある臨済宗法灯派の大本山です。開山した心地覚心(法灯国師)は宋で禅を学び、禅の一助にするため自ら尺八を習得すると共に四人の中国人の尺八名人を連れて帰国し、寺内に風呂番として住まわせたといいます。後、法灯ほっとう国師を祖師、虚竹きょちく禅師を開祖として京都明暗寺ができました。曲については京都六斎念仏の念仏踊りの曲とか、祇園祭りの祭礼で用いられたとか言われています。明暗真法流(降り葉)に伝承された(宮川如山作ともいいます)自由リズム・追分リズムの前吹きを経て、古典本曲には珍しい拍節的で覚えやすいメロディーが展開します。
3 布袋軒産安 futaiken san ya(9:57)
虚空山布袋軒伝のサンヤです。布袋軒の産安は三夜・山谷・山野・産屋・参安などの色々なアテ字が用いられていますが、要するに「サンヤ」の曲です。布袋軒は伊達政宗の隠密だった虚無僧芭蕉が開いたといわれています。政宗は仙台城に移る際、長年軍事的に多大の功績のあった芭蕉に城下中央の一等地、札の辻(札番所があったため、こう呼ばれたとか)を下賜しました。以来、札の辻は「芭蕉の辻」と呼びならわされるようになったそうですが、芭蕉自身は街中の喧騒を嫌い、名取郡の増田近郊に移って、そこを布袋軒としました。この産安は、同事の鈴慕とも共通するフレーズを持つ竹調べで始まり、中音・高音と続きます。しばしば用いられる長二度の幅を持つ音の動き(律のテトラコルド)は、雅楽を思わせる明るさをもち、天の岩戸が少しづつ開かれ光が入ってくる様子ともいわれています。本演奏は、小梨錦水こなしきんすい浦本浙湖うらもとせっちょうー桜井無笛むてきー岡本竹外ちくがいの各節を経たものです。浦本師の手は若干簡素だったことが、残された譜と音から窺われます。
4 真虚鈴 shin no kyorei(13:29)
明暗真法流に伝わる秘曲。本曲界で最重要視されている三虚霊(古伝三曲ともいわれる)「虚鈴きょれい」「霧海篪むかいじ」「虚空こくう」は、それぞれ別に真・行・草の手があったらしい。書道の書体の違いを参考に命名されたのかもしれません。本来の虚鈴が、極めて簡素な古くて雅びた印象を与えるのにたいして、この「真虚鈴」は、構造は簡素なものの終始節音階で奏されることから一貫して我々を安心させ、なつかしさをかきたてるようです。日本音楽研究の権威、吉川英史きっかわえいし氏は「音楽の緩徐性、それは礼楽哲学の絶対命令・・・・・・」(『日本音楽の性格』)と述べておられますが、まさにそれを髣髴とさせるようなしみじみした曲であり、我々の中にある素直さや純真さが引き出されるような思いがします。なお、真・行・草の虚鈴は、各々相互に似通った曲調をもっています。
5 真法流鉢返 shinporyu hachi gaeshi(2:52)
本巻A面1曲めの鉢返とは別の系統の曲。真法流は、病人の枕許でも邪魔にならないように吹くのが極意とのこと。少ない音を自然に勝つ素朴に吹いたらしい。真法流最後の伝承者、勝浦正山かつうらしょうざん師の御令孫正俊氏の御好意で、昭和52年遺譜が出版され、57年には佐賀県嬉野の山上月山やまうえげっぢん師(正山・源雲界みなもとうんかい佐野東界さのとうかい各師に真法流23曲を習う)が旧表記を現在のロツレ式の譜に翻案、録音もレコードにされた。これら史料が多くの人の手に渡り、真法流復興のきっかけになることを願ってやまない次第です。いつものことながら、頭が下がります。遠くない将来、尺八古典本曲の真価が認識され始めた時、この方々の仕事がどれほど大切なものだったか、分かる時が来るでしょう。この曲には「財宝二世 功徳無量 三波羅密 具足円満(ないし法界平等利益)」のお経が添えられています。尺八と共に読経されることもあったのでしょうか。
Side-B
6 一月寺鉢返 ichigetsuji hachigaeshi(3:39)
本巻A面1曲目の鉢返と同じ曲とみて間違いないでしょう。ただ、この鉢返は、時々都節音階(陰旋法)になり、手も多少細かくなったりもしています。そして、その関係からでしょうか、曲の中ほどで、後半部分の二ヶ所に本来の鉢返にはなかったであろう短い手がつけ加えられています。金竜山一月寺は下総小金(千葉県東葛飾郡)にあった普化宗本山。青梅の鈴法寺と共に「普化宗本山寺触頭ふれがしら」として、君臨した。「下り葉」でも解説しましたが、法灯国師に従って来朝した宋人尺八修行を続けて関東にはいり宝伏死後、金先が一月寺を開山したことになっています。また江戸市内に設けられた一月寺・鈴法寺の両吹き合わせ(尺八教授)には、初代黒沢琴古くろさわきんこ吉田一調よしだいっちょうなどの尺八名人を生んでいます。
7 越後明暗寺鉢返 echigo meianji hachigaeshi(4:47)
秀峰山明暗寺伝承の鉢返。越後三条市から東へ国道289号線をさかのぼった下田村に明暗寺跡があります。開祖は菅原吉輝すがわらよしてる のち僧籍に入り的翁文仲てきおうぶんちゅうと名乗り、京都に行った後尺八一菅を携えて全国を歩き、江戸の駒込に住みました。徳川家に尺八を献奏し、大阪夏の陣の道案内をした功績もあって、旗本同様の扱いを受け、一寺を設立することを許されたそうです。その間の事情は、郷土史家蝶名林竹男氏の『越後明暗寺の歴史』に詳しく載っています。 この鉢返は、高い音を多用している点では他の鉢返と同じもののメロディー構造は全く異なり、小品ながら華麗な雰囲気を漂わせています。本巻の鉢返と聴き比べてください。
8 奥州鈴慕 oshu reibo(6:18)
虚霊山明暗寺伝。明暗寺では今日「奥州流し」と呼んでいますが、流しを鈴慕とも呼ぶようです。三二・四三・五四三などの連音の指づかいが鈴慕らしさを表しています。今日の京都明暗を築いた樋口対山ひぐちたいぢん師が浜松普大寺から持参した十一曲には奥州鈴慕は入っておらず、陸奥鈴慕共々、曲数や系統を整えるために対山が作曲したか改作したものと推測しています。奥州の鈴慕にみられる独特の迫力や個性はこの曲にはなく、王朝風の優雅でのどかな感じに仕上がっているようです。曲の終わり方(レーロー)は、琴古流のパターン化した終わり方と同一のものです。
9 鶴之巣籠 tsuruno sugomori(11:11)
虚霊山明暗寺(京都)伝。初段に入る前に「音取ねとり」があり、その内容は「轉菅垣ころすががき」とほぼ同じです。初段は「虚空こくう」「三谷さんや」など京都明暗寺系の高音の典型的なフレーズがいきなり登場します。そして、巣籠特有のコロコロ(ホロ)も多用したフレーズが、しっかりした拍節(ビート)・民謡のテトラコルド(音階構造)を伴って奏されます。 琴古流の巣籠(巣鶴鈴慕そうかくれいぼ)がしっかりした構成のもと、様々な技巧をこらして微妙に変容してゆくベートーヴェン的作りだとすると、この明暗鶴之巣籠は、おしげもなく新たな旋律が展開してゆく点でモーツァルト的といえるかもしれません。 この曲は九段からなり、七段・八段は口伝になっていますが、七段は九段と、八段は六段と同じ手を吹くそうです(本演奏では、七・八段は省略してます)。 この九段からなる鶴之巣籠と「紀州真龍伝巣籠きしゅうしんりょうでん」は、「古伝巣鶴こでんそうかく」(別名五段巣籠)から胡弓(江戸時代以降用いられた日本唯一の擦弦楽器)に移され、尺八のレパートリーとして再移入されたといわれています。  鶴之巣籠の伝承は少なくとも五つあり、本文に登場した以外にも布袋軒ふたいけん松巌軒伝しょうがんけんでんのもの、神保政之輔じんぼまさのすけ作の「神保巣籠」(別名三谷巣籠奥州三谷とも)などの大曲があります。めずらしく歌舞伎で尺八を用いる例として仮名手本忠臣蔵九段目『山科閉居』で加古川本蔵が吹くのも鶴之巣籠です。

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