自分を識る

グループ・ワークに出会うまで No.5

投稿日:2020-01-31 更新日:

西欧文明の伝道者ゴードンに出会うまで

岡部さん病が嵩じて、京都のお寺にすっかり魅せられたのはいいが、泊まるところには毎度苦労した。今の京都は、それこそもう毎日お祭りで凄まじいが、昔もそれなりに混んでいた。宇多野にある大きなユース・ホステルは、まず予約が取れなかった。それでも一度だけ泊まれた時のこと。当時は、尺八の上達のさまが自分でも見て取れたので、どこへ行っても吹いていた。

宇多野ユースの広い庭で、迷惑にならないよう隅の方で遠慮がちに練習していると、アメリカ人夫婦が声を掛けてきた。これがキムとロージーというバチェラー(学士)さん夫婦だ(旦那さんはどこかの州の弁護士さんだった)。何日か同じテーブルで夕食をとり、すっかり仲良くなった。最後の日、しんみり別れを惜しんでいると、遠慮がちに若い外国人が割り込んできた。これがドイツの青年ヘルマン・シューベルト。

彼は医学生で、姓はシューベルトでも顔はポール・マッカートニーそっくり。性格はまじめで勉強熱心。今は、アメリカで結婚してニューヨークの医科大学の眼科の教授をしているという。このヘルマンが、日本人商社マンと結婚した親戚のブリギータのところにいるので、東京で会おうと言ってきた。当方には異存もなく南青山まで会いに行った。

ちなみに、ヘルマンのいとこのブリギータは、日本人の旦那と別れたあともそのまま日本に留まり、美貌を買われて?モデルのようなことをしていた。最後はマレーシアだかインドネシアだかのかなり年上の富豪の嫁に貰われていった(ジャクリーン・オナシス・元ケネディ大統領夫人のミニ版といったところか)。彼女は大鵬(第48代横綱)の大フアンで、引退前の最後の相撲(1971年5月場所)に連れてってくれとせがまれた。当方は小学生の時、堂々と?学校を休んで親父に連れられて蔵前国技館に行っていたクチなので、「相撲に興味がない」などとウソはつけない。義理を果たそうとしつつも、チケットがとれなかったのでこの話は沙汰止みになった。ブリギータに、「大鵬のどこがいいの?」と訊いたことがある。こちらが予想した答えは「強いから」とか「ハンサムだから」などというものだったが、答えはまったく違った。「負かした相手に、手を差しのべるのが紳士的だから」だった。この返答を聞いて、かつての江戸っ子名横綱・栃錦(後の春日野理事長)のことを思い出した。小兵ながらも気迫あふれる相撲で、栃若時代として日本中を熱狂させたヒーローだ。この勝負師・栃錦(第44代横綱)は、「自分の闘争心が鈍らないよう」負かした相手にあえて手を貸さないことを身上としていた。平素ですら、誰かが障子を開けて部屋に入ろうとすると、「誰か?」と誰何したというから、これはもう剣豪の心得のような裂帛の気迫と言うしかない。「“勝負師”の生きざま」としてお見事。大鵬も栃錦も、どちらも立派。どちらのやり方にも一理ある。  ブリギータの大鵬贔屓の理由を聞いて、私はとっさに大好きだった栃錦のことを思い出しはしたのだが、そのことを伝える語学力を欠き、何も言わなかった。

たぶん今でもあると思うが、秀和南青山レジデンスというマンションの走りのような建物は、白壁を敢えて凸凹にしつらえ(南欧風?)、塀の上端には和式の瓦を彷彿とさせるような青っぽい円タイルを配していた。ヘルマン・シューベルトにこのマンションに住んでいたイギリス人を紹介された。まさかこの時は、倍も年の離れたこのデカイおっさんと後々まで付き合いが続き、お互いの家を行き来することになるとは思ってもみなかった。こうして、ゴードン・F・S・エレンズが私の人生に“到着”した。
<続く>

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