YK様からご質問をいただきましたので、公開で回答させていただきます。
YK様からのご質問(2022/7/11)
徳山 様
こんにちは。
古典本曲を徳山様の楽譜とCDから勉強させていただいております。
そこでお尋ねしたいのですが、CD(全5巻)の中でいわゆる明暗対山派本曲32曲に該当するものは、下記の18曲でお間違いございませんでしょうか。
ご教示くださいますと光栄です。
6轉菅垣 koro suga gaki(6:38)
7大和調子 yamato choshi(3:00)
9吾妻乃曲 azuma no kyoku(5:11)
1 鉢返 hachi gaeshi (3:48)
9 鶴之巣籠 tsuruno sugomori(11:11)
1 霧海箎 mukaiji (20:49)
4 三谷 san ya(8:56)
5 雲井獅子 kumoi jishi(9:07)
7 阿字観 aji kan(5:21)
1 虚鈴 kyorei (11:41)
2滝落 takiochi (11:35)
8恋慕流し renbo nagashi(10:49)
1 調子 choshi
2一二三之調 hifumi no shirabe (5:10)
3秋田管垣 akita sugagaki (3:45)
4虚空 koku (9:23)
6曙之調 akebono no shirabe (4:29)
8九州鈴慕 Kyushu reibo (4:17)
ご連絡ありがとうございました。
ご指摘の18曲で間違いありませんが、奥州鈴慕・陸奥鈴慕、および下り葉(根笹派ではないもので、譜面では「興国寺伝」としてあります)も、京都明暗系でよいと思います。
所伝寺については、重複があったりして、必ずしも確定できない場合も少なくありません。なお、譜面に関しては、2022年6月に、京都明暗の32曲を含む全国の禅本曲180曲程度を公開しました(なお数曲は未整譜ですが)。
本来、樋口対山(鈴木孝道)が、浜松(普大寺)から京都へ持っていったのが11,2曲程度です。
後は、九州や江戸(琴古流)、奥州からのものを蒐集(換骨奪胎)し、32曲にしたようです。
樋口対山の奏風をもっとも忠実に伝えるとされるのが、谷北無竹です。
谷北先生より先に、京都明暗の看主になった小林紫山が、一定の改訂を加え今日の京都明暗ができました。
「樋口対山の古風にこだわるなら、谷北師の演奏を手本に」とするのが、稲垣衣白先生(愛知県豊田市の開業医)の立場だったので、その遺志をついで、『古典本曲の源流を求めて/谷北無竹集Ⅰ~Ⅲ』を製作しました。なお、小生の演奏は、谷北先生の演奏そのものではありません。特に『三谷』に顕著なように、陽旋(田舎節・雅楽のテトラコルド音階)が目立ち過ぎる部分を、何か所か、陰旋(都節音階)に直して吹いています。ただし、これは小生が勝手にやったわけではなく、岡本竹外先生の吹き方でもあり、その先生の桜井無笛先生なども同様です。
無笛師は、谷北無竹師に直接つながるので、一部都節音階という半音の使用もそれなりの歴史の必然ではあったと考えられます。小生の取り組んだ本曲は、基本的には曲名はもちろん、なるべく元のままいじらないでそのまま継承するのをモットーとしてはいるのですが、この点は現代に生きるわれわれの感性に合わせるには仕方がないように思っています。弘前の根笹派や、琴古流の本曲のように、すべてを陰旋(都節)になった例とも聞き比べてきださい。
江戸時代のある時期に、淫声(いんぜい)と言われる「都節音階」が爆発的に流行って以来、今日の演歌(歌謡曲)に至るまで都節音階は一大潮流になりましたが、それ以前はわが国では半音を含む旋法はありませんでした。
樋口対山が浜松からの曲を擁して今日の京都明暗派を創流した結果、それまでの京都生え抜きの明暗真法流は途絶えました(一応、小生が全55曲のうちのほとんどを完全復刻し公開済み)が、その理由は、音階が半音を含まない古いものだったので、時流に合わなかったためと考えられます。
それより古い「一節切の曲」も、古譜から復刻可能ですが(公開した鹿児島の「天吹(てんぷく)」の譜面同様)、今日のわれわれの感性に訴えるものとしては、物足りなさを感じます。
遅くなりましたが、お返事まで
徳山 隆