虚霊山明暗寺伝。明暗寺では今日「奥州流し」と呼んでいますが、流しを鈴慕とも呼ぶようです。三二・四三・五四三などの連音の指づかいが鈴慕らしさを表しています。今日の京都明暗を築いた樋口対山ひぐちたいぢん師が浜松普大寺から持参した十一曲には奥州鈴慕は入っておらず、陸奥鈴慕共々、曲数や系統を整えるために対山が作曲したか改作したものと推測しています。奥州の鈴慕にみられる独特の迫力や個性はこの曲にはなく、王朝風の優雅でのどかな感じに仕上がっているようです。曲の終わり方(レーロー)は、琴古流のパターン化した終わり方と同一のものです。
CD 尺八古典本曲集[四]の8曲め