伝統文化新聞

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伝統文化新聞 第162号 (95) ポルトガル旅行(三)

伝統文化 ・ 芸能考 95 (徳山隆)ポルトガル旅行(三)
ついに、リスボンの北百二十キロの奇跡の街ファティマに着く。一九一七年五月十三日、人口三千人にも満たないこの荒れ地の寒村に、聖母マリアが生身の肉体をともなって現れ、三人の子ども達にお告げを伝えた(一年前から若い天使が何度も現れ、額を地につけるなどの礼拝作法を三人に授けたという)。

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伝統文化新聞 第160号 (94) ポルトガル旅行(一)


伝統文化 ・ 芸能考 94 (徳山隆)

ポルトガル旅行(一)
ほぼ五十年ぶりにポル トガルに行った。団体旅行 だから気楽だ。五十年前 は、学生という身分相応の 木賃宿。観光客の行かない 急坂のアルファマ地区で 塩魚に舌鼓をうち、夜は サビの利いたファド(「運 命・宿命」という意味の民 族歌謡)に酔った。今回フ ァド用のギターというの を初めて見たが、大ぶりの マンドリン様で十二弦あ った。

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伝統文化新聞 第159号 (93) 維新と維納(ウィーン)

維新と維納(ウィーン)
オーストリアの首都で、かつてのハプスブルク帝国の栄華を誇ったウィーンは、「明治・大正期には漢字で「維納」と書かれていた(他にも異表記はある)
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伝統文化新聞  伝統文化 ・ 芸能考 93 (徳山隆)
明治百五十年 19            クリックで拡大

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伝統文化新聞 第158号 (92) 維新前後のシアワセ考

維新前後のシアワセ考
明治維新の前と後、衣食住のすべてが変化した。薩長の「徳川憎し」の心情もあったろうが、不平等条約の是正のためにも変わらねばならなかった。われわれの母語も、方言のいいとこ取りをして、標準語として新たなスタートを切った。日本語は、一人称の語彙が豊かだという。維新前の、武士の自称にもいくつかある。
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伝統文化新聞  伝統文化 ・ 芸能考 92 (徳山隆)
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伝統文化新聞 第157号 (91) 『西国立志編』に奮い立った男・星一(七)

『西国立志編』に奮い立った男・星一(七)
天才物理学者 楢崎皐月は、一八九九年、荻ええ生まれ札幌に育った。中学を卒業し、上京して日本電子工業・電気学校に学び、二十代で国産の特殊絶縁油を開発。日本石油と契約を結びながらフリーランスの技術者として活躍した(後、福島県相馬郡に亜鉛から人造石油をつくるプラント工場を設立している)。
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伝統文化新聞  伝統文化 ・ 芸能考 91 (徳山隆)
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伝統文化新聞 第156号 (90) 「西国立志編」に奮い立った男・星一(六)

「西国立志編」に奮い立った男・星一(四)
星は製薬会社で大成功し、「親切一番」という社のモットーを、長男の名「親一」にした。SFショート・ショートの雄・星新一のことだ。実は、父も近未来小説『三十年後』を構想していた。
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伝統文化新聞  伝統文化 ・ 芸能考 90 (徳山隆)
明治百五十年 16                 クリックで拡大

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伝統文化新聞 第154号 (88) 「西国立志編」に奮い立った男・星一(四)

「西国立志編」に奮い立った男・星一(四)
星に劣らず『西国立志 編』を愛読した後藤新平 は、星の師でありまた盟友 として行動を共にした。
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伝統文化新聞  伝統文化 ・ 芸能考 88 (徳山隆)
明治百五十年 14                 クリックで拡大

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伝統文化新聞 第153号 (87) 「西国立志編」に奮い立った男・星一(三)

「西国立志編」に奮い立った男・星一(三)
少年少女向けの偉人伝 には、エジソンやキュリー 夫人などと並んで野口英 世が必ず出てくる。
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伝統文化新聞  伝統文化 ・ 芸能考 87 (徳山隆)
明治百五十年 13            クリックで拡大

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