2009/11/12 禅尺八総曲目解説

禅尺八(古典本曲)総覧
小生は現存する禅尺八曲の200曲以上を1980年代に伝承・収集し、難易度別に体系化し終えた(55曲分は公刊もしている)。本稿では、小会の教習順序にしたがい、初伝から皆伝までの各曲を紹介している。伝承経路がはっきりしているものはそのことを明記し、また曲想についても解説している。

今日の尺八楽は、優秀な演奏家も出てきてそれなりに賑わっているが、その芯の部分ともいうべき最古の独奏曲群である虚無僧の伝えた禅の尺八は、置き去りにされてきた。「民俗音楽」として扱われる民謡や詩吟の伴奏としての尺八にも、「芸術音楽」とされる明治以降の流派組織にも、古典の(禅の)本曲は伝わっていない。現今流派のレパートリーは、三曲合奏といわれる筝曲(古くは地歌)中心の音楽である。

本来は20年前に整理されていたこれら曲群ではあるが、一年がかりで書き継ぎ、一応のメドがついて公開の運びになった。
まずは何百年の時代を経て伝えられた、尺八というきわめて個性的な楽器(禅では修行の道具で、楽器ではないのだが)の特性を最大限生かした独奏曲群にはどのようなものがあるのか、このリストをベースに把握してほしい。
曲の由来や特徴などは、これから順次書き足してゆく予定だ。禅尺八に興味をもたれる向きは、自分で吹かれる方が多いと想像されることから、冒頭の一節を小会の記譜法であるロツレ式で示してある。
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2008/10/30 曲目解説

禅尺八(古典本曲)総覧
小生は現存する禅尺八曲のほとんどすべてを把握し、難易度別に体系化し終えている。カッコのついていないものは、公刊譜として印刷、販売されているものである(55曲分ある)。ここではその順序(初伝~皆伝)に従って紹介している。

虚無僧の伝えた禅の尺八は、ほとんど幻といってもよいほど今の尺八界には伝わっていない。まずどのような曲(名)があるのか、これをベースに全体像を把握してほしい。曲の由来や、特徴などは、これから順次書き足してゆく予定だ。禅尺八に興味をもたれる方は、自分で吹かれる方が多いと想像されることから、冒頭の一節を古式(最古のフホウ式ではない)に則って紹介してある。

現今の二大流派と古典本曲との奏法上の違いは、別途一文を設けて解説するが、尺八基本奏法の一つである「アタリ」・・・当該の音を冒頭から大きく出すために予備的音を加えること・・・を起点に言及するなら、都山流は基本的に「アタリ」を用いず(その意味では平板で譜の通りに吹く)、琴古流は、ほとんどの音を「アタリ」ないしは「メリコミ」を用いる(この点では、譜面に明記されていないさまざまな補助的技法が存在する)。

禅の尺八はこれら二流派の中間といえる。ある種の「アタリ」はあるものの、琴古流ほどはアタリを入れない。
尺八には元々流派というものは存在しなかった(地域の特性に根ざす、演奏や楽曲構成上の特性はあった)。建前的には、虚無僧という臨済宗の流れを汲む普化宗の僧侶(有髪妻帯が許され、葬儀を執り行わない)だけが奏することを許された。
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2008/10/14 仏教と尺八

『日本仏教史』石田瑞麿 岩波全書 1984によると、近世江戸仏教の「新宗の成立」(p269)において、本願寺の分裂、高野山の紛争、新義真言の分裂、新来の黄檗宗、融通念仏宗の再興、修験道の分裂と並んで、「普化宗」が扱われている。
「また少しく趣を異にするが、古くは薦僧と呼ばれ、集団をなして一宗を称した普化宗がある。近世に至って武蔵の鈴法寺を道場とし、下総の一月寺と共に栄えた。白衣に編笠をかぶり、短刀を帯び、尺八を吹いて諸国を回遊し、犯罪者等の格好の隠れ家となったから、幕府は延宝五(一六七七)年、虚無僧覚を出すに至っている」。
これが全文である。限られた紙数の割には要領を得た解説といえるが、共に触頭として君臨した一月・鈴法寺の関係があいまいである。
ただし、同書は、触頭制度そのものについて別の箇所(p249.259)で触れている。それによると、この制度は戦国大名が領国支配のためにとった分国法中の注目すべきものの一つで、禅宗では「僧禄」と呼ばれた。触頭制度は、幕府から諸宗本山への上意下達を容易にするためのものであったが、逆に諸寺からの上申願書もこれを通してなされた。触頭制度は、本末制度の確立の流れの一端を担っていたのであり、本寺は末寺住職への任命権をも握り、寺社奉行への訴訟、僧侶への行刑なども、触頭の添書や奥印が必要であった。こうした触頭制度の成立はほぼ本末制度と揆を一にし、寛永十年前後に始まると推定されている。
とにかく、本寺は絶対的優位を保証されたから、末寺が結果的には様々な面で、本寺の圧力を蒙ったことはいうまでもない。例えば、末寺住職の相続一つをみても、本寺は公認料として上納金をとり、寺格によってその公認料に等級別の差を設けている。そしてこの権限は得度から法名・院号の授与や本尊・聖教の下附等は勿論、その折々の遠 ・法会にまで、本寺は末寺から収奪できるものであった。しかも寺格や僧階がこれに付随し、階層的な段階を設けて、上納金を押しつけることができた。
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